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自分史:幼年期
「これ、やっとこうかな。」 吉澤です。

自分史をつくるのは初めてじゃないのですけども、今の年齢になって振り返ってみると、また違う発見があったりするのですよ。
夏休み特集ってことで(ワタシは夏休みないんですけども)、サラーッと簡単にまとめてみよーかな。

今回は小学校入学前までの『幼年期』にタイムトラベルです。びゅーん。


◇ワタシのキオク(主観的情報)

さて、実はあんまり覚えていないんですよね。かなり断片的で、物語の前後がわからないです。

ええと、園庭で女児のスカートをめくって回っていたのは覚えています(コラ)
スカートをめくるとですね、追いかけられるんですよ。まぁ、鬼ごっこですね。『イロ鬼』とか好きでした。「赤!」と鬼が叫んだら赤いものにタッチしにいけばセーフというやつですね。
『色鬼』と書くと『色情魔』みたいですけども。

あとは、オママゴトに入れられたのも覚えています。ダンナさん役だったり、オニイチャン役だったり、ペットのイヌ役だったこともあったような気がします。
ヤクルトの空き容器を洗って水や砂を入れるのが好きなコドモでした。


◇キキコミ調査(客観的情報)

母の話によると、言語の発達が早いコドモだったそうな。(母は保育士だったので詳しい。)
それから複数筋の情報によると(探偵か?)、観察力みたいなものが目立っていたらしいです。「とにかく、よく気づく子だった。」らしい。


◆分析!

まずですね、『性自認に関するエピソード』がないことがわかりますね。
GIDの人の中には、かなり早期から身体と逆の性自認を持っている人もいると聞きますが、私は違っていますね。この頃はどちらとも意識していなかったと思います。

でも特に驚くようなことではないです。
早期から性自認があるケースを知って、「だから、生まれつき心の性が決まっている。」というような主張をしたことがあるような気もしますが、これは間違いです。

私もかじった程度とはいえ保育を勉強して、児童福祉施設での実習も経験していたのですが・・、なぜこんな間違いをしたのかわかりません。(気がおかしかったとしか言えません・・)

テキストにも書いてあることですが、2歳児は『性別』を理解していません。
実習で触れ合った児童たちのことを思い出せば、9歳~10歳くらいでも まだ理解が不安定でした。『柔軟だった』と言い換えてもいいのですけども。
通常、『性別』が普遍的なものだと理解するのは3歳~4歳頃だとされますが、あくまで理解のスタートラインに立っただけなのでしょう。GIDの人の語りにある「物心ついたとき」もこの頃のことなので、「生まれつき」とは意味が違います。
「生まれつき」とは、どんな学習も関係していないということですから。

私が自分の性別に違和感を覚えるようになるのは小学生の頃なので、ソコは今回は置いておいて、私に確固たる性自認が生まれなかった理由は、たぶん、『能力の性差』を感じなかったことが影響しているんじゃないかと思います。


母の話では、私は2歳児の頃には、すでにけっこうオシャベリができたらしいのだけど、このような言語の発達は女児のほうが早いのです。だいたいの女児は、だいたいの男児より、言語の発達が早いので、それが児童同士の関係にも表れてくるような気がします。
でも私は、そういった状況でもイニシアチブを失いにくかったのかもしれません。私の記憶でも、女児と関係を断絶して遊ぶようなことはなかったように思うので、『女児と自分は違うものだ』という感覚が生まれなかったのかもしれないです。

私の幼児期は、オママゴトもしましたけど、いかにもというか、特別に女の子らしいところがあったわけではないと、私は思っています。
またがって足でこぐ乗り物とか大好きでしたし。
・・とはいえ、ウチの近所に住んでいる女の子たちも同じ乗り物にまたがって騒いでいましたし、今ではピンクの自転車を乗り回してウチの壁にぶつかりやがります。
生活の基本要素になるようなものに『性別』を植えつけるのは無理があるように思えます。大人の目のほうに色メガネがかかっているだけかもしれません。


ちょっと脱線する話題ですけど、『能力の性差』、あるいは『脳の性差』というものが一躍有名になったのは2000年に出た『話を聞かない男、地図が読めない女』という本がきっかけとして大きいかと思います。

あれから10年の間にも研究は進み、今では女性の空間認知能力は潜在しており、それは経験を積むことで引き出されることが報告されています。つまり、『地図が読めない女』とは『地図を読もうとしなかった/読む必要に迫られなかった女』だということになりました。

ここから見えるものは『ジェンダー病』とでもいえばいいのでしょうか。
男は男らしく・女は女らしくすることで、発揮されなかったり失われてしまう能力があるということが明らかになったわけです。もしもこのような「育たない能力」のせいで一方的に不利益をこうむるのであれば、育てる場を提供しない社会の問題、社会が病気、といえるかもしれません。

反面、「地図が読めないのは、女だから」という逃げ場が消されることで、女性は否応なしに『能力主義』の世界に放り出される危険が生まれました。
自立心の強い女性にとっては、ウーマンリブ運動以来、待ち望んでいた時代がようやくやってきたと思えるかもしれないけれど、そうでない女性を待ち受けるのは、もしかしたら「努力不足」のレッテルかもしれません。
特に海外の専門家からは、日本の女性たちは依存的で自立心が弱いと指摘される実情があります。皆がみんな勝間和代さんのようにはなれていないのです。

私的には、発達障害を持つ人たちにとっても厳しい社会になるのではないか、というのが心配です。
すでに『大人の発達障害』が注目のキーワードになっているのですが、これは社会の提示する『合格ライン』が昔より厳しくなった結果だとも考えられます。

もうすでに、「KY」や「草食男子」など、普通に日常生活が送れている人たちが『標的』になる社会になっています。普通に暮らしている人が『能力不足よばわり』されるなんて、理解に苦しむのですけども。
「生きていれば上出来」と考えられた戦中戦後の社会とは、大きなギャップがありそうです。

(ちなみに、標的を狙う側、いじめる側の人も、発達障害であることが多いということを知っておかなければいけないかもしれません。KYいじめをする時点で、その人もKYだということですから・・。)


・・自分史から離れましたけども、まぁ、幼年期なんて、それほど多くのことは覚えていないですし、低年齢の子どもでは脳機能が未整理なせいか記憶が捏造されることも珍しくないので、自分の記憶とはいえ『物語』くらいにしか思ってないです。
観察的には、この頃はオトコかオンナかをよく質問する年代ではあるものの、少しでもオトナになったかどうか、ということのほうが周囲にとっても重要だったりしますから、オトナかコドモか、のほうがテーマが強いのかも。

次回以降、小学生期には、性役割の学習が増えて、しかも最初の『気づき』が訪れます。
更新がいつになるかわかりませんけども・・。

このシリーズは修正を加えたり、また来年に書き直したりしちゃったり、する、かも?(めんどくさい・・)

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【2010/07/24 18:18】 | まるで進まない自分史 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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