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自分史:幼年期
「これ、やっとこうかな。」 吉澤です。

自分史をつくるのは初めてじゃないのですけども、今の年齢になって振り返ってみると、また違う発見があったりするのですよ。
夏休み特集ってことで(ワタシは夏休みないんですけども)、サラーッと簡単にまとめてみよーかな。

今回は小学校入学前までの『幼年期』にタイムトラベルです。びゅーん。


◇ワタシのキオク(主観的情報)

さて、実はあんまり覚えていないんですよね。かなり断片的で、物語の前後がわからないです。

ええと、園庭で女児のスカートをめくって回っていたのは覚えています(コラ)
スカートをめくるとですね、追いかけられるんですよ。まぁ、鬼ごっこですね。『イロ鬼』とか好きでした。「赤!」と鬼が叫んだら赤いものにタッチしにいけばセーフというやつですね。
『色鬼』と書くと『色情魔』みたいですけども。

あとは、オママゴトに入れられたのも覚えています。ダンナさん役だったり、オニイチャン役だったり、ペットのイヌ役だったこともあったような気がします。
ヤクルトの空き容器を洗って水や砂を入れるのが好きなコドモでした。


◇キキコミ調査(客観的情報)

母の話によると、言語の発達が早いコドモだったそうな。(母は保育士だったので詳しい。)
それから複数筋の情報によると(探偵か?)、観察力みたいなものが目立っていたらしいです。「とにかく、よく気づく子だった。」らしい。


◆分析!

まずですね、『性自認に関するエピソード』がないことがわかりますね。
GIDの人の中には、かなり早期から身体と逆の性自認を持っている人もいると聞きますが、私は違っていますね。この頃はどちらとも意識していなかったと思います。

でも特に驚くようなことではないです。
早期から性自認があるケースを知って、「だから、生まれつき心の性が決まっている。」というような主張をしたことがあるような気もしますが、これは間違いです。

私もかじった程度とはいえ保育を勉強して、児童福祉施設での実習も経験していたのですが・・、なぜこんな間違いをしたのかわかりません。(気がおかしかったとしか言えません・・)

テキストにも書いてあることですが、2歳児は『性別』を理解していません。
実習で触れ合った児童たちのことを思い出せば、9歳~10歳くらいでも まだ理解が不安定でした。『柔軟だった』と言い換えてもいいのですけども。
通常、『性別』が普遍的なものだと理解するのは3歳~4歳頃だとされますが、あくまで理解のスタートラインに立っただけなのでしょう。GIDの人の語りにある「物心ついたとき」もこの頃のことなので、「生まれつき」とは意味が違います。
「生まれつき」とは、どんな学習も関係していないということですから。

私が自分の性別に違和感を覚えるようになるのは小学生の頃なので、ソコは今回は置いておいて、私に確固たる性自認が生まれなかった理由は、たぶん、『能力の性差』を感じなかったことが影響しているんじゃないかと思います。


母の話では、私は2歳児の頃には、すでにけっこうオシャベリができたらしいのだけど、このような言語の発達は女児のほうが早いのです。だいたいの女児は、だいたいの男児より、言語の発達が早いので、それが児童同士の関係にも表れてくるような気がします。
でも私は、そういった状況でもイニシアチブを失いにくかったのかもしれません。私の記憶でも、女児と関係を断絶して遊ぶようなことはなかったように思うので、『女児と自分は違うものだ』という感覚が生まれなかったのかもしれないです。

私の幼児期は、オママゴトもしましたけど、いかにもというか、特別に女の子らしいところがあったわけではないと、私は思っています。
またがって足でこぐ乗り物とか大好きでしたし。
・・とはいえ、ウチの近所に住んでいる女の子たちも同じ乗り物にまたがって騒いでいましたし、今ではピンクの自転車を乗り回してウチの壁にぶつかりやがります。
生活の基本要素になるようなものに『性別』を植えつけるのは無理があるように思えます。大人の目のほうに色メガネがかかっているだけかもしれません。


ちょっと脱線する話題ですけど、『能力の性差』、あるいは『脳の性差』というものが一躍有名になったのは2000年に出た『話を聞かない男、地図が読めない女』という本がきっかけとして大きいかと思います。

あれから10年の間にも研究は進み、今では女性の空間認知能力は潜在しており、それは経験を積むことで引き出されることが報告されています。つまり、『地図が読めない女』とは『地図を読もうとしなかった/読む必要に迫られなかった女』だということになりました。

ここから見えるものは『ジェンダー病』とでもいえばいいのでしょうか。
男は男らしく・女は女らしくすることで、発揮されなかったり失われてしまう能力があるということが明らかになったわけです。もしもこのような「育たない能力」のせいで一方的に不利益をこうむるのであれば、育てる場を提供しない社会の問題、社会が病気、といえるかもしれません。

反面、「地図が読めないのは、女だから」という逃げ場が消されることで、女性は否応なしに『能力主義』の世界に放り出される危険が生まれました。
自立心の強い女性にとっては、ウーマンリブ運動以来、待ち望んでいた時代がようやくやってきたと思えるかもしれないけれど、そうでない女性を待ち受けるのは、もしかしたら「努力不足」のレッテルかもしれません。
特に海外の専門家からは、日本の女性たちは依存的で自立心が弱いと指摘される実情があります。皆がみんな勝間和代さんのようにはなれていないのです。

私的には、発達障害を持つ人たちにとっても厳しい社会になるのではないか、というのが心配です。
すでに『大人の発達障害』が注目のキーワードになっているのですが、これは社会の提示する『合格ライン』が昔より厳しくなった結果だとも考えられます。

もうすでに、「KY」や「草食男子」など、普通に日常生活が送れている人たちが『標的』になる社会になっています。普通に暮らしている人が『能力不足よばわり』されるなんて、理解に苦しむのですけども。
「生きていれば上出来」と考えられた戦中戦後の社会とは、大きなギャップがありそうです。

(ちなみに、標的を狙う側、いじめる側の人も、発達障害であることが多いということを知っておかなければいけないかもしれません。KYいじめをする時点で、その人もKYだということですから・・。)


・・自分史から離れましたけども、まぁ、幼年期なんて、それほど多くのことは覚えていないですし、低年齢の子どもでは脳機能が未整理なせいか記憶が捏造されることも珍しくないので、自分の記憶とはいえ『物語』くらいにしか思ってないです。
観察的には、この頃はオトコかオンナかをよく質問する年代ではあるものの、少しでもオトナになったかどうか、ということのほうが周囲にとっても重要だったりしますから、オトナかコドモか、のほうがテーマが強いのかも。

次回以降、小学生期には、性役割の学習が増えて、しかも最初の『気づき』が訪れます。
更新がいつになるかわかりませんけども・・。

このシリーズは修正を加えたり、また来年に書き直したりしちゃったり、する、かも?(めんどくさい・・)

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【2010/07/24 18:18】 | まるで進まない自分史 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
投票いってきました。他、温泉でのこと
今回、あんまり選挙カーの喧騒を聞かなかったような。 吉澤でっす。

候補者は人物のフィーリングで選び、比例は民主じゃないとこに入れました。
個人的には、結果を待たずに政策を変えるほうが問題だと思っているので民主に入れたいところだったけど、大きな潮流に乗って一旦は揺さぶろうという考えです。そのうち小沢さんを引きずり出せればいいかな、とか思ってます。(黒い・・)

っても、小沢さんのこと好きではないんですけどね。若い人向きではないかなと。
それでも「世論を~」「民意を~」と言い過ぎる人より、思い切って失言する人のほうが小気味良さもあるし、リーダーというのは人気取りじゃないので(人気がないと辞めさせられるけど)、やっぱり図太くて強引なくらいがいいと思ってます。

自分では世の中を変えようとはしないけど現状には満足していないという人は、黙ってリーダーについていくしかないだろうと思うのですが、身近なところにも現政権に不満をこぼしている人もいたりします。「じゃあ、立候補しなよ」とは目上の人にはなかなか言えませんが。
・・私って厳しいんでしょうか?

ところで、投票所では投票用紙をもらうときに、来た人が男か女かをチェックする作業があるのですね。
そのことをすっかり忘れていて元気よく男声で「おねがいします!」なんて言ったら係員さんがためらいがちに男スイッチを押していました。
そもそも男女を集計する意味があまりないような気がするのですが、ジェンダー的な観点からすれば女スイッチを押してもらったほうが統計上有意なデータになったかも。けど、子育て支援の政策との関連を見ようというのなら、やっぱり男スイッチを押してもらって正解だったと思い直しました。


すこし関係したことなのですが、どうも最近、外見的なことに思うことがあって頭を悩ませています。
先月だったか、誘われて何の気なしに日帰り温泉にいったのですが、フロントで女性用のロッカーキーを渡されて(女性客として処理されたことは内心嬉しいですが)、そのまま入るわけにも・・ということで男性用に替えてもらうという出来事がありました。
私としては温泉に入りたいだけなので、どっちでもいいといえばいいのですが、自分の姿から考えて混乱を避けるには男湯がいいわけですね。

ちなみに昔は男湯に入るのは恥ずかしいと思った時期もありましたが、近代的な西洋諸国でも、パートナー以外の前で全裸なんてアリエナイ!という国もあれば、男女ともに股間だけ隠せば良しという国(つまり水着姿の女性でも胸を出しているのがフツーの国、水着デザイナーにとってはつまらないかもしれない国)があることを知ってからは、そういう文化的なものに縛られているのはどうかなと思って、なるべく気にしないようにしています。(日本にも混浴文化があるわけですし、グレーゾーンですね)

でも、混乱を避けるために男湯を選択していたはずなのに、フロントで混乱を招いていたんじゃ??

とりあえず脱衣所に入るときにはガニ股で歩き、オッサンくさい動きを取り入れて「男ですアピール」をしているのですが、浴室内では絡みつくような(ウソ)視線を感じつつ、半径5メートルの範囲で避けられているような気がして、それはそれでさみしい。襲い掛かりそうに見えるのだろうか

そもそも男の体のはずなのに男湯に入るために気遣いがいるという不可解さ。一瞬、自分はMtFじゃなくてFtMだったっけ?と思ってしまう。
セクシュアルでみても、何が男で何が女なのだろう。身長をならしたら、表面的な男女の違いは脂肪による違いくらいなものです。私は身体計測データの数値的には男性のそれなのですが、なぜ女性と判別する人がいるのでしょう? スカウターが壊れてやがるのかな?

摩訶不思議アドベンチャーですね。
【2010/07/11 17:54】 | 2010 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
養生せいや!
養生しています・・ 吉澤です。

今月は精神不安定。
アレやコレやと気になることはたくさんあるのですが、よくよく考えてみると季節の変わり目に仕事が増えて疲れているだけだったりするんですよね。
そんなわけで栄養と休息を多くとるようにしています。

人から話をきいていても感じることですが、やたらと怒っていたり、ひどく落ち込んでいる人は、それよりだいぶ前から生活が乱れていることがしばしば見受けられるのですね。
最初はちょっとしたリズムの変化で食事の時間がずれ込むことが増えたりする程度なのですが、そのずれた分だけ別のことが割り込んでいるわけなので、自覚している以上に多くのずれが起きているんです。神経衰弱ゲームで最後から3枚目のカードをミスると2ペア逃してしまうみたいな、わかりにくいたとえ。

だんだんと睡眠や食事の消化にも影響が広がることがあるようで、そこまでくると活動中にも影響が出てきて、知らぬ間に集中力が落ちてミスが出たり、普段は我慢できることが我慢ならなくなったりもします。
気分にまで変化が出てくるようになると、「本人が問題と考えている出来事」しか見えなくなってきたりして、なかなか脱出できないなんてことも。
本人はがんばっているんですけどね。他人からみると、それが変ながんばりに見えたりもします。このことは本人が客観性を失っていることを示しています。


そんなとき、私は1つのルールにしたがうことにしています。それが養生することです。

まず、気分がどーのというのは全て無視!
胃腸が弱っていると食事から回復させるのも大変なので総合ビタミン剤なども飲み(いわゆる「薬」には飛びつかない。まず栄養。)、やりたいことは捨てて寝る寝る寝る・・徹底的に体を休めます。
娯楽に逃げたりもなしです。楽しい気がすると疲れを感じなくなりますが、冷徹なまでに感情は無視して(快も不快も無視して)、細胞のために良いことをするとゆー感じ。
シャーレの中で培養されている細胞に笑いかけたって意味がないでしょう?必要なのは水と栄養と安定した環境、それに十分な時間です。そのくらいの意志でやります。

このやり方は、ある種の王道的なやり方で、マインスイーパの攻略法と同じです。願ったり祈ったりするのは最後の最後の手段として、確実性の高い部分から潰していくというやり方です。

ちなみに、早めに対策をとっていれば早めに回復するのですが、仮に1年も前から不養生な生活を送っていたとしたら回復にも1年かかると考えています。
ただし、どんなに長く不養生な生活をしていたとしても3年くらい徹底的に(徹底的に!)生活を正したなら十分に変わると考えています。私がこう考えるのは、この養生法を体細胞の生まれ変わりサイクルにかかる期間から概算で算出して考えたからなのですが、まぁ簡単な話、人は3年もあれば、物質的、細胞的には、ほとんど全て、大部分が置き換わっているはずなので、全くの別人といえます。その間、変わろうとして、実際に生活を変えていたなら、変わってしまうものだと、それだけのことなのですが。

多少、体力が戻ったなら辛抱もきくようになるので、それから精神的なトレーニングも積むようにしますね。


私の場合、小難しいことを考えるときは精神不安定ですね。
主観をもとにした検査では表れませんが、軽微な抑うつがあるのかもしれません。抑うつ状態だと思考力が高まるのだそうですから、その結果かもしれないと考えてみたり。
飾り気がなくなるのも1つの特徴。こーゆーときはデザイン系の仕事はキツイ。今は考える仕事なので助かってますが。

性自認や性指向だけでなく、能力もふらつくのがワタシ。とかいって、センサーが細かすぎるだけですね・・。
水飲んで寝ます。
【2010/07/09 21:55】 | 2010 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
そうか、もう七夕なのね
繁殖期です。 「恋の季節です。」 吉澤です。

頭がオーバーヒートするので、しばらく楽なネタでいこうかというところで。

明日って七夕ですね。
織姫と彦星の、一年に一度だけのラブロマンス。
雨が降りそうでかわいそうですが。(雨が降ると天の川が氾濫するので2人は会えないらしい)

この時期に「仕込む」と、子どもは次の春に産まれる。唐突に
春になれば食べ物が手に入りやすいですから、お乳もよく出て、子どもを育てやすい。

この時期にラブロマンスを促したほうがよい、と考えた人がいたのでしょう。たぶん、西洋のジューンブライドも同じ知恵から生まれたものだろうと思ってます。
当然ながら、これらの風習は四季のない国には浸透していないようです。

季節が変わり暖かくなってくると、男性の性欲が高まるという報告もあるそう。生物学的に、この時期に高まる雄の子は生存率が高いこと(=今の私たちはその子孫)を意味するのかもしれません。自然淘汰、というやつですね。

ちなみに、幸福感の高い人を調べると、5月生まれが最も多いんだとか。現代では栄養面は理由にならないので、誕生してすぐの社会的な経験が影響すると考えられていますが。


ところで、反対に、女性はあまり夏にしたがらないという報告もあります。どちらかというと冬なんだとか。
まぁ、仮に、春夏に子どもを残すことを基準に考えてみれば、この時期に一番にすべきは食い溜めかも。子どもが生まれてからは育児期に入るので、どちらにしても食べ物がいりそう。

冬のラブロマンスとしては、日本ではクリスマス・イヴでしょうか。
キリスト教を信仰している人に聞いたら、クリスマスは教会で祈りを捧げる日だそうで、パーティだってしないと言っておりましたが。

クリスマス期に「仕込む」と、子どもが産まれるのは次の10月頃ですね。
ちなみに、幸福感が低い人は、10月生まれが多かったそうな。

本来、感謝祭から年明けまでの行事は、家族や親戚で集まって過ごすもの(10月生まれの子の幸福感を高める工夫でもありそう)。日本でも、師走、年度末、年度始めのドタバタなどなど、わざわざ繁殖の邪魔をするようにスケジュールが詰まっているというのは、どことなく理にかなっているように思えてきます。

もっとも、女性が夏にしたがらないというのは信憑性に欠ける話でもあり、別の報告では性別に関係なく活動性との関連が指摘されています。

でもわからないですけど。つわりのある時期というのは胎児の発育に重要な時期で、このとき毒素を入れないために食べ物を食べず、胎児の体をつくっていこうというのですから。となれば、もともと食べ物が少ない時期につわりが来るようにしたほうが長期の母体の栄養状態は良さそう。
2年に1度子どもを産もうとすれば、1シーズンでも春夏に食べ物が得られないのは危機ですし。(10人産んでも成人するまで生き残るのは2人くらいという時代や国では、子作りの社会的な意味が違いますね・・。一夫一婦制だと20歳から40歳までずっと子作りと子育てに励んで、ようやく人口が維持できる程度なのですから。)

そんなわけでこの場合、12月頃に「仕込む」ことで、つわりも出産も食べ物が多い時期とちょうど重ならずに済むんですね。
これを証明するかのように、秋冬生まれの子どもは大きな体で生まれてきます。大きな体で丈夫なら生存率は高まりますよね。

整理すると、
男性からのアプローチで夏に「仕込む」と次の春に育てにくい(といっていいのか)赤ちゃんが生まれるけれど、夏は食糧があり男性も育児に協力しやすかったので、良し。
女性からのアプローチで冬に「仕込む」と、子育て期になる次の冬には、食糧が少ないことから男性は狩りに出続けなければならず育児の協力はできないが、春夏に女性の栄養状態を高く保ちやすいので次の秋に丈夫で育てやすい赤ちゃんが生まれるから、良し。

生まれた子どもの幸福感には人の関わりが影響しているという指摘も当てはまりそうですし(狩りの影響で家族・村に人の増減がある)、まぁ、こんな具合かも、しれません。


七夕のお話が偶然に残ったとするには歴史が長すぎるでしょう。
たぶん、2000年も昔にはすでに、いつ子どもが産まれるのがベストかを考えた人がいたのでしょうね。
ホント、頭が下がります。科学ってけっこう「今さら感」があるものが多いんですよね・・。

今日明日、どこかで笹飾りをつけることがあったら、「アンタ、すごいよ。」と書こうと思います。
【2010/07/06 12:16】 | 2010 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
7月になってしまいましたよ
覚え書きですが。吉澤です。

日本代表、おつかれさまでした。そして、ありがとう!
密かに応援していたアメリカもトーナメント1戦目で敗退してしまいましたが、メンタルパワーに注目していた2チームがともに粘りに粘って戦い抜いたのは偶然ではないと思っていいでしょうかね。


さて、私はというと。
ついーとしたような気がしましたが、さわりだけ遺伝学を、とりわけ性染色体について勉強しました。さわりだけ。おさわり。

性同一性障害の診断には身体の性を確認するステップがあるので医療上は問題にならないのかもしれませんが、当事者の語りの中には身体の性を曖昧に、かつ明確にそして大胆にとらえているものもあるので(というか一般には知らないでいいのかも)、ちょっと気にしてみました。

遺伝学の世界では、何を男ととらえ、何を女ととらえるかに明確さはないのかもしれません。
一応、生物学のルールにのっとって、おっきい卵を生むのが雌、ちっちゃい卵を生むのが雄という具合に分けると、Y染色体を持っていれば、高確率で雄ということになるのですが。(Genetic Sex の決定)

なんで言い切れないかというと、これが面白いところで、
Y染色体(上の遺伝子)は精巣をつくる仕事をするのですが、そこまでなんだそうで(Gonadal Sex の決定)、あとは精巣から男性ホルモンが出て、受容体が反応すれば男性型の身体になっていく。
でも受容体をつくる仕事は別のとこにある遺伝子が受け持っているようだということで、つまり、遺伝子のチームワークがあって初めて性別が決定するのだそうです。

したがって、チームワークが上手くいかなければ雄でも雌でもなく、間性になります。
なるほど、中性と呼ぶより的確ですね。「中」って何の中だよ?って話で、むしろ「間」とする発想は科学者がこだわりそうなところです。

そんなわけで性分化についても細かく学ぶことになり、インターセクシュアルについて詳しくなったというのが今回の結果のようです。

ついでの収穫として、
アレですね、エロマンガ的なふたなりとか、ファンタジーとしての誇張は覚悟していましたが、誇張というか大嘘ですね・・。陰茎・陰嚢は小陰唇・大陰唇と由来が同じ細胞なので、もとの細胞組織が2倍あって、しかも干渉せずに発達することがなければ(ないでしょうが)あのようなファンタジーは起こりえません。
真性の場合でも、実際は性腺が2種類になることによって起きるので、干渉し合って、どちらともつかないような外性器となるものです。
エロマンガ的なイメージが先立つというのは、当事者にとってツライでしょうね。GIDの人がおかまのイメージにとらえられることで苦痛を訴えるのに近いかもしれません。

このことで、またついでにわかることなのですが、男女がお互いにどんな風に感じるのか?という疑問も解けます。
上記の追加で、亀頭と陰核も由来が同じ細胞なわけで、疑問の答えはそれぞれが対応した部分と同じように感じるということです。
表面積が変わるせいで神経細胞の密度が変わってしまいますが、同時に全体を刺激するのであれば大した違いはないでしょう。

私などはMtF(X)ですから、もし女性の身体で生まれていたなら どんなふうに感じたのだろう?と思っていましたが、これも大差ないようです。
膣のあるなしは大違いじゃないかと思われるかもしれませんが、あれは神経の通っていない筋肉で特に何も感じないのだそう。感覚をもたらしているのは先ほどリストアップした部位の神経たちが圧迫などされるからで、それは男性だと主に陰茎に納まっている部分と同一のようです。

同様にして、女性の『射精』についても理解することができました。驚き?でしょうか?
30年も昔の洋書にはメカニズムまで解説してあったのですが、日本ではあまり知られていないような気がします。
日本ではAVの演出のためかもしれませんが、盛大にオシッコを飛ばすために『失禁』と同列にみなされているようなところがあり、調査では多くの女性が『失禁』と思い込み、その瞬間を我慢しているというのを読んだことがあります。

しかし、液体の種類と、それらがどこから発生しているか、発生源の解剖学的な部位や、器官の反応を分析した結果、これは男性の射精と同じ、なので英語では表記上も同じ言葉が使われていたのですが、日本語では『射精』ということで、いかにも男性のものであるかのような文字があてられてしまっているので『』で括ってみました。
男女の共通理解としていうと、現在、男性の「ドライオーガズム」と呼ばれているものが、女性の「オーガズム」と思われているものと同質であり、男性の「オーガズム」(一般に射精をともなう)は、女性が「失禁」と思い込んでいるもの、あるいは、俗に「潮吹き」と呼ばれるものでしょう。(もちろん意図的な放尿とは違います。)

このような、生物学的に同質のものが社会的なバイアスをかけられることで片方は自然なこと、もう一方は恥ずかしいこととされてしまうのには教育の責任を感じずにはいられません。
いわば、これは人種差別と同じ構造です。知らず知らずにそう教えていました。というのは通用しないのではないでしょうか。

と思ったので書いてみました。
義務教育の範囲でここまで教えられる先生がどの程度いるかわかりませんが、私の知る、性教育活動をしている保健師さんもだいたいこのように教育して回っていますので、新しい世代では正しい知識を持つようになるでしょう。
大人が性について恥を教え込まない限りは、子どもは『性』に寛容なものです。

大人にしても、なんで恥と思うようになったのか、ずーっと千年も二千年も昔へと辿っていくとこれまた面白い推論に行き着くのだけど、紙面の都合もあるのでやめておきます。
ただ、この文化的なことから、現代のLGBTが何をすべきかということへヒントも得られたので、またの機会に書いておきたいです。

私は今しばらく自然科学からのアプローチを続けようかなーと思い、遺伝学の次は内分泌学の本を開きましたが、用語を覚えるだけで挫折しそうです。
以前、脳科学から知ったことに、行動の性差や性指向に関わりがあると考えられている部位が、内分泌系をコントロールする部位と位置的に近いのが気になっていて、以前コメントいただいた通り(アーカイブしたので私しか読めませんが、すみません)、GIDの人で体が弱いことが多いようだというのはこのことと関係があるのではないかと疑っています。

GIDの人は、気持ちの面にとらわれすぎるきらいがあると思うので、確かな身体症状を見逃さないことがセルフケアの上でも大切だと思います。
医療の上でも、身体性と反対の性ホルモンを使用する関係上、短期間の体調変化だけでなく、長期的にはどのような疾病にかかりやすくなるのかということに、一般の人ほど確度の高いデータは揃っていないでしょう。
GIDの人が社会で認知され、一般的なものになるほど、一般の人と同じように健康に悩むことも出てくるはずですが、会社の健康診断の際に相談してみても、医療者の側もそれまでの『勘』がどの程度役に立つものか、アタリをつけるのは難しいかもしれません。

社会運動はかなり進んだ感じがしますけど、QOLを考えれば、まだまだ過渡期だという印象です。
GIDの人が一般的になるということは、当事者が東京や大阪に集中しなくなるということであり、そうすると専門医の配置には限界があるでしょうから、専門知識が一般的な知識に変化していかないとだし、それでも臨床経験の問題が残る。

どうしたものなんですかねぇ・・。幸い、ホルモンは体内にもともとある物質なおかげで、いわゆる薬と毒は紙一重というようなシビアさはないようですが。
当事者には不安が残ることもあるかもしれませんよねぇ。


整理せずに書いたら、また長くなりました。
本当に芋づるなんですよ。調べるとアチコチ繋がってる。連鎖、連鎖で、また戻ってくるという。
これは環の中にある問題なんだなーと思います。人によって引っかかっているポイントが違うので、テコ入れの仕方も違うような感じなのかな・・。
う~~~ん。

ところで、今回の記事で私は何種類「同じ」という意味の言葉を使ったでしょうか?しかも不適切に。
どうでもいいですね・・、ねます・・。
【2010/07/03 00:25】 | 2010 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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